札幌地方裁判所 昭和46年(わ)695号 判決 1972年7月11日
主文
被告人を懲役一〇年に処する。
未決勾留日数中二七〇日を右刑に算入する。
押収してある登山ナイフ一丁(昭和四六年押第一四六号の1)を没収する。
押収してある買物小切手一冊(昭和四六年押第一四六号の14)を被害者藤田金一に、買物チケット一冊(同号の15)を被害者杉本京子に、買物チケット一冊(同号の16)及び診察券一枚(同号の17)を被害者藤田洋子に、外国タバコ五〇箱(同号の18ないし27)を被害者佐藤長七にそれぞれ還付する。
理由
(被告人の略歴と本件殺人に至るまでの経緯)
被告人は、本籍地で生れたが、出生前に父が死亡し、その後母も家出したため、満八才のころまで祖父の許で養育され、その後は福岡県下の保護施設に収容され、そこで義務教育の課程を終了した。中学の課程を終了後、被告人は、寿司屋の店員をしたり、職工、土工夫などをしながら、大阪や福岡県あるいは熊本県などを転々とし、その間、再三となく窃盗の非行を重ねたため中等少年院、特別少年院に送致され、次いで昭和四四年福岡地方裁判所で窃盗罪により懲役刑に処せられ、昭和四六年一月城野医療刑務所を出所した。出所後、福岡県でパチンコ店の店員や土工夫をした後、大阪、奈良、東京と流れ歩き、板前見習などをしていたが、そのうちに、北海道旅行をしようと思い立ち、昭和四六年六月下旬札幌に到着した。札幌では、自衛官採用試験を受験したところ合格し、入隊までの期間、同市内の採石会社の臨時雇として働らくこととなつて、同会社の寮に入つたが、数日後、気が変つて、自衛官志望を取りやめ、同年七月二日、そのころ顔見知りとなつた小川豊(当時一七年)と共に寮を飛出したうえ、後記のとおり、札幌市内で乗用車を窃取し、それを運転して千歳市に出かけたが、翌三日には小川とも別れてしまい、被告人一人で千歳市内を歩き廻るなどしていた。なお、被告人は、前記採石会社に入つたのちの七月一日ころ、小樽市内に遊びに出かけ、同市内の金物屋で登山ナイフ一丁を買い求めて、これを持ち歩いていた。
(罪となるべき事実)
被告人は、
第一、昭和四六年七月三日午後八時過ぎ頃、適当な寝場所を捜して千歳市内を歩き廻つているうちに同市清水町二丁目無番地千歳川沿いの旅荘「箱根」方先路上に駐車してあつた一台の軽四輪貨物自動車を発見したので、同車の三角窓を破壊するなどして同車内に入りこみ、同車の前部座席に横になつて眠りについた。ところが同日午後八時四〇分頃、同車の所有者である市川政信(当四一才)が、酒に酔い女性一人を同伴して右自動車のそばに戻つてきたため、被告人は、市川からその不始末を発見され、同人に促されて車外に出ることになつたが、その際、被告人は前記登山ナイフを右腰とズボンの間に差しこんで車外に出た。車外に出たのち、被告人は同人から、「なぜ、人の車に入つたのか」、「窓を壊したから弁償してくれ」などと叱りつけられ、これに対し被告人は一応謝罪の意を表したが、なおも同人から、「警察に行こう」などといわれるや、被告人は、とつさに登山ナイフで同人を突き刺そうと決意し、そのような行為に出るならば、同人が死亡するかも知れないことを認識しながら、あえて前記のとおり隠し持つていた刃渡り約13.8センチメートルの登山ナイフを右手で握つたうえ、いきなり同人の胴体を二回にわたつて突き刺し、同人に対し深さ一六センチメートル、腸管、腎臓などの損傷を伴う左腹部刺創および深さ11.5センチメートル、肝臓、下大静脈などの損傷を伴う上腹部刺創を負わせ、これに基づく出血多量のため、同人をして、まもなく同所において死亡させて、これを殺害した、
第二、単独で又は前記小川豊と共謀のうえ、別紙犯罪一覧表記載のとおり、昭和四六年七月一日頃から同月五日頃までの間、前後六回にわたり、札幌市北五条西七丁目日産レンタカー駅前営業所ほか五か所において、植田聖吾ほか七名の所有または管理する現金合計九、七六四円、腕時計一個ほか一〇四点(時価合計七七二、六二〇円相当)を窃取した、
第三、昭和四六年七月五日午後一〇時一〇分頃、東京都墨田区業平一丁目一八番八号村樫ストレート株式会社駐車場において、浅井昭二所有の普通貨物自動車(足立四ぬ二九八四号)一台(時価四〇〇、〇〇〇円相当)を窃取した、
第四、公案委員会の運転免許を受けないで同月六日午前四時三〇分頃東京都千代田区九段北三丁目二番地付近道路上において、前記第三の事実記載の自動車を運転した、
ものである。
(証拠の標目)<略>
(弁護人の主張に対する判断)
((殺人の故意について))
まず弁護人は、判示第一の所為につき、被告人には殺意がなかつたから、傷害致死罪をもつて問擬すべきであると主張し、被告人も当公判廷において一貫して殺意を否認している。しかしながら、本件各証拠から認められる次の諸事実、すなわち、被告人はきわめて鋭利でかつ刃渡り約一四センチメートルもの登山ナイフで被害者の腹部を二回にわたり力一杯突き刺したものであることその結果、被害者の上腹部、みぞおちの所に長さ、4.0センチメートル、深さ約11.5センチメートル、肝臓と下大静脈の損傷を伴つた刺創、左側腹部に長さ4.0センチメートル、深さ約一六センチメートル、腸と左腎臓の損傷を伴つた刺創を与えており、これら二箇の刺創は両方ではもちろん、いずれか一方のみの受傷であつても優に失血死をひきおこしえたと考えられほどのものであつたこと、しかも当時被告人は、被害者と数十センチの距離で相対峙し、その際、被害者から「弁償してくれ」とか「警察に行こう」などと責められたりなどしたが、格別被害者から殴られるとか、つかみかかられたりした様子はなく、ただ被害者から向つてこられそうな気配を感じたというだけであつて、殆んど被告人から一方的かつ積極的に右のような行動に出ていること、被告人がこのような行動に出ることの決意をしてから、突刺し終るまで極めて短時分であつたとしても、二回にわたつて突き刺したこと自体について被告人は相当明瞭な記憶を有しており、意識障碍などあつたとは認められないこと、およびその兇器は自ら数日前に買い求めたものでその性状を十分認識していたこと、その他被告人の捜査官に対する供述なども総合して考えると、後述のように被告人が人格の発達が不十分で理性を失い易い傾向の持主であることなどの事情を考慮に入れても、確定的殺意はともかく、少くとも未必的殺意を有したと認めるに十分であつて、この点に関する被告人の公判供述は信用することができず、弁護人の主張は採用できない。
((責任能力について))
つぎに弁護人は判示第一の所為が被告人の人格統制機能の失われていた状態で行われたいわゆる短絡行為であることを理由として心神喪失ないしは心神耗弱状態における行為であると主張するので、この点につき判断する。
医師諸治隆嗣作成の鑑定書によれば、右犯行当時、被告人には意識障碍などなく、かつ特定の精神病の存在も認められず、精神病質者とも認められないこと、しかし被告人は生来性の精神薄弱で、その程度は境界線級に属すること、その人格は極めて未分化の状態にあり、衝動性や不安、対人過敏性などの特徴がみられ、人格の統合機能が阻害され易く、本件犯行は、これらの人格的負因を基盤とし、極めて単純な精神的刺激によつて誘発された衝動行為で、いわゆる短絡行為と推定されると述べている。そして同鑑定人は公判証言において、この点をふえんし、短絡行為の場合には人格の統制は全く欠如し、理性の介在を受けることなく、直接、人格の最下層部分を通じ、刺激即反応という形式で行為が発現し、いわゆる原始反応の一種であつて、かかる行為の際中においては善悪の判断は全くないと考えられる。意識野は狭窄状態にあるが、その範囲内では意識が清明であり、事象の認識とそれに従つた一定の複雑な行為を行うことができるが、一種の病的な行為と判断できるように思うなどと述べており、鑑定人の以上の見解をそのまま採用すべきものとすれば、被告人の責任能力には多大の疑問があるといわなければならない。しかしながら、(1)同鑑定人は前記結論を導き出す根拠の一つとして、被告人が生来性の精神薄弱であるということをあげているが、少年調査記録によれば、被告人は、これまでにも数回にわたり精神検査をうけているが、そのうち昭和三八年一月施行の知能検査によれば田中BIでIQ九四、昭和四〇年一月の検査によると同じくIQ九三であつたこと、昭和四一年九月施行の検査によれば、IQ八六であるが準正常の域にあるとされ、素質的な能力は特に低いとは思われないと診断されており、さらに昭和四二年一〇月の知能検査によればIQ九六であることが認められ、これらに徴すると、今回鑑定人が行つた知能診断検査の結果(言語性知能指数八〇、動作性知能指数八二、全検査知能指数七七)については、どの程度の正確性を認めてよいか疑問であり、むしろ被告人の知能は正常域かそれに近いものとみるべきであり、少くとも被告人の知能面に生来的な顕著な障碍などあつたとは認められないこと、(2)鑑定人が、本件行為が人格の統制機能の欠如した状態で行われたと推定するもう一つの根拠として、被告人の人格が未分化であるとの負因をあげており、このこと自体は鑑定書の記載に照らし肯認してよいと思われるが、現実に本件行為が人格の統制機能が全く欠如した状態で発現したかどうか、この点についての具体的な認定根拠は殆んどあげておらず、僅かに「被告人が、本件行為の具体的態様、突刺した回数や被害者を足蹴りにしたかどうかなどについて、明瞭な記憶を残していないように思う」というようなことをあげているだけである。しかし、被告人の捜査官に対する供述や公判供述などによると、被告人は本件犯行およびその前後の情況をかなり明瞭に記憶し、殆んど健忘を残していないことが認められ、鑑定人のこの点の判断も必ずしも当をえていないと思われること、(3)更に鑑定人は、本件行為が極めて単純な精神的刺戟によつて誘発されたことをあげ、この点を短絡行為と推定する大きな根拠としているようである。しかしながら、凡そ人が単純な精神的刺戟によつて兇悪な行為に出る場合の精神的機制については、他に種々説明が可能であつて、つねに短絡行為の概念によつて説明しなければならないものとは思われない。鑑定書の記載などを精査しても本件行為の精神的機制として考えられうる他の可能性を逐一検討した形跡は認められず、この意味において鑑定人の右見解は必ずしも十分な理由を備えたものとみることは出来ないこと、殊に少年調査記録によると、被告人の顕著な性格特性として、殆んど固定化したといつてよいほどきわめて即行的であり、かつ自己中心的であることが、指摘されているとともに、犯行後血痕付着の登山ナイフを平気で持ちつづけていたことからも明らかなように情性の面でもある程度の欠陥のあることが認められるが、本件行為も被告人の以上のような性格および情性面の欠陥が、そのまま露呈したものであり、被告人の平素の人格構造にとつて格別無縁なものでなく、むしろそれに沿う行為にすぎないのでないかと見るべき余地も多分にあること、その他、本件各証拠から認められる犯行直前における被告人と被害者との問答の内容をみても、とくに被告人が異常な心理状態にあつたと疑わしめるふしは認められないこと、兇行の瞬間のみを考えるならば、通常人の理解を超え、了解不能な衝動行為とみえるが、被告人が数日前からさしたる理由もなく登山ナイフを所持して市内を徘徊していたことや、犯行前被害者から叱責され車外へ出ようとした際から右登山ナイフを右手に隠くし持つて車外に出ていること、犯行直後被告人がいち早くその場から逃走しているなど、犯行前後を通じての、かなりの脈絡をもつた被告人の一連の挙動を綜合観察すると、本件行為をもつて鑑定人が説明するような意味における、異常ないし病的な行為であるとか、全面的に刺戟即反応という形式で発現し被告人の人格統制機能から全く逸脱し、その意味で被告人の人格に対し問擬することを許さない種類の行為であつたことは、容易に認めることができない。
のみならず、前記各証拠によると、被告人には精神病の罹患はなく、その人格面に種々の欠陥はあるが精神病質者とも認められず、さらに知能の面でも格別の障碍はみられないわけであるが、このような正常人が、些細な刺戟に誘発されて自我ないし人格の統制機能を失つて、短絡的に衝動行為に出たとしても、それだけで責任能力が排除されまたは限定されるものではないと解される。なるほど、このような場合、自我の統制機能を喪失し衝動行為に埋没している際中に着目すれば、行為者としては恐らく是非善悪を弁別し、これに従つて行動する能力を失つているか、又はそれが著しく減退している状態にあると見てよいであろう。しかし、平生、格別の病的ないし著しく異常な素質、負因を有しない行為者としては、右刺戟に当面する直前以前の時点においては、是非善悪を弁別しこれに従つて行動する能力を有していたわけであり、しかも行為者としては不断に共同社会の規律に従つて自己の情動を統御すべき努力をするよう義務づけられていること、社会の大多数のものが些細な刺戟に身を委ねて勝手な衝動行為に出てもこれを処罰しえないこととなれば社会秩序は崩壊してしまうことなどを考えると、正常人の衝動行為については原則とし責任能力の減免の余地はないと解すべきであり、一般の刑事裁判の実務も、当然に、この理を前提として行われているといつて差し支えないであろう。ただ右の意味において正常人といえるものであつても、例えば被害者から過度の虐待、侮辱などをうけたとか、或いは行為者の責に帰しえない事由で極度の不眠、疲労などの状態にあつて甚だしく情動的刺戟をうけ易い状況下にあつたなどの例外的な事情がある場合には、責任能力の減免が認められる余地があるとしても、本件においては、このような例外的な行為状況が存在したことも認めることができない。犯行当時、被告人が非行を重ねながら放浪していたなどのため、疲労し、睡眠不足の状態にあつたようであるが、もちろん、それは被告人の自ら招いた事情にすぎないし、疲労、睡眠不足の程度もそれほど強度のものであつたとは認められないのである。本件犯行が、鑑定人のいうとおり、全面的に人格的統制機能の欠如した状態で行われた短絡的衝動行為であるとしても、責任能力が排除され又は限定されることになるものではないと解され、弁護人のこの点の主張は採用することができない。
(累犯前科)<略>
(法令の適用)
被告人の判示第一の所為は刑法一九九条に、判示第二および判示第三の各所為は何れも同法二三五条(ただし共犯にかかるものについては、さらに同法六〇条)に、判示第四の所為は道路交通法一一八条一項一号、六四条にそれぞれ該当するが、所定刑中判示第一の罪につき有期懲役刑を、判示第四の罪につき懲役刑を各々選択するところ、被告人には前記の前科があつて刑法五六条一項の場合にあたるので同法五七条により、判示第一の罪については同法一四条の制限内で各罪ごとの再犯の加重をし、更に以上の各罪は同法四五条前段の併合罪であるから同法四七条本文、一〇条により最も重い判示第一の罪の刑に同法一四条の制限内で法定の加重をした刑期の範囲内で、被告人を懲役一〇年に処し未決勾留日数の算入につき同法二一条を、没収につき同法一九条一項二号二項を、押収物の被害者還付につき刑事訴訟法三四七条一項を、訴訟費用を被告人に負担させないことにつき同法一八一条一項但書をそれぞれ適用して主文のとおり判決する。
(渡部保夫 斎藤精一 仙波厚)